【林修の今知りたいでしょ】鎌倉時代の偉人ランキングベスト13(2022年12月15日)

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2022年12月15日にテレビ朝日系列『林修の今知りたいでしょ!(林修のレッスン今でしょ)』で放送された、鎌倉時代の偉人ランキングベスト13鎌倉時代総まとめを紹介します!

林修の今でしょ講座、林修のレッスン今でしょを経てリニューアルした『林修の今知りたいでしょ!』では、鎌倉幕府を支えた武将や、朝廷で力を振るった天皇などなど、今年話題を集めた人物が続々選出!

今回の記事では、2022年12月15日にテレビ朝日系列『林修の今知りたいでしょ!(林修のレッスン今でしょ)』で放送された、鎌倉時代の偉人ランキングベスト13をまとめます。

 

只今、記事を随時更新中です。

 

  1. 鎌倉時代の偉人ランキングベスト13
    1. 第13位 源実朝(みなもとのさねとも)
      1. 鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)
      2. 源実朝の首塚(神奈川県秦野市)
    2. 第12位 後白河法皇(ごしらかわほうおう)
      1. 三十三間堂(京都府京都市)
    3. 第11位 源義経(みなもとのよしつね)
      1. 大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)(愛媛県今治市)
    4. 第10位 慈円(じえい)
      1. 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)
    5. 第9位 重源(ちょうげん)
      1. 東大寺(奈良県奈良市)
    6. 第8位 大江広元(おおえのひろもと)
      1. 大江広元のお墓
    7. 第7位 後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)
      1. 後鳥羽上皇御火葬塚
      2. 隠岐神社
      3. 後鳥羽上皇の手形
    8. 第6位 運慶(うんけい)
      1. 金剛力士像
    9. 第5位 平清盛(たいらのきよもり)
      1. 厳島神社(広島県)
    10. 第4位 北条義時(ほうじょうよしとき)
      1. 石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府)
      2. 北条義時関東下知状
    11. 第3位 北条泰時(ほうじょうやすとき)
      1. 切通(きりとおし)
      2. 御成敗式目
    12. 第2位 北条政子(ほうじょうまさこ)
      1. 浅草寺(せんそうじ)(東京都)
      2. 一切経(いっさいきょう)
    13. 第1位 源頼朝(みなもとのよりとも)
      1. しとどのいわや
      2. 安房(あわ)へ
      3. 御恩と奉公
  2. まとめ
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    3. 林修の今知りたいでしょ番組情報
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鎌倉時代の偉人ランキングベスト13

第13位 源実朝(みなもとのさねとも)

第13位 源実朝(みなもとのさねとも)でした。

源頼朝は、源頼朝と政子の息子で鎌倉幕府3代将軍になった人で、悲劇の将軍ともいわれています。

源実朝は、鎌倉のランドマーク鶴岡八幡宮で、1219年1月に暗殺され28歳という若さでこの世を去りました。

鎌倉から車で約1時間ほど離れた神奈川県秦野市に源実朝の首が祀られた首塚があります。

源実朝

鎌倉幕府3代将軍

1192年-1219年(享年28歳)

鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)

源実朝の首塚(神奈川県秦野市)

第12位 後白河法皇(ごしらかわほうおう)

第12位 後白河法皇(ごしらかわほうおう)でした。

後白河法皇は、源頼朝が、鎌倉で幕府を開いたころ、京都の朝廷で実権をにぎっていた人物、源頼朝を翻弄した朝廷の絶対的支配者です。

平清盛、源頼朝を手玉に取ったしたたかな政治力の持ち主で、源頼朝は、後白河法皇のことを「日本第一の大天狗」と言って警戒していたとのこと。

後白河法皇

第77代天皇

1127年ー1192年(享年66歳)

三十三間堂(京都府京都市)

三十三間堂(京都府京都市)は、国内屈指のお堂で国宝に指定されています。

後白河法皇が構想し、平清盛が資金を提供し創建されました。

1164年創建火災の影響で1266年に再建。

横幅約120mで国内屈指の規模を誇る。

第11位 源義経(みなもとのよしつね)

第11位 源義経(みなもとのよしつね)でした。

源義経は、源頼朝の弟で、軍略家、戦術家として卓越した力量を持っていた人物といわれています。

源義経

源頼朝の弟

1189年ー1159年(享年31歳)

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)(愛媛県今治市)

大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)(愛媛県今治市)のご祭神は大山積大神様で、武将たちからも、御崇敬があり、戦勝祈願や御礼で多数の武具甲冑類が奉納されています。

国宝や重要文化財の指定を受けた武具類がたくさん奉納されています。

第10位 慈円(じえい)

第10位 慈円でした。

慈円は、天台宗の高僧で、後白河法皇の側近。

慈円

天台宗の高僧

1155年ー1225年(享年71歳)

青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)

青蓮院門跡は、慈円が修業を積んだお寺で、国宝や重要文化財が数多く残されており観光名所としても人気のスポットです。

第9位 重源(ちょうげん)

第9位 重源(ちょうげん)でした。

重源は、61歳で平家の南都焼討によって燃えてしまった東大寺大仏殿の再建を指示し、再建を成し遂げた人物。

重源

醍醐寺の僧侶

1121年ー1206年(享年86歳)

東大寺(奈良県奈良市)

第8位 大江広元(おおえのひろもと)

第8位 大江広元(おおえのひろもと)でした。

大江広元は、鎌倉幕府の政治を支えた政治家として随一の人物と言われている、源頼朝達に不足していた、行政実務の中枢を担い、鎌倉幕府の屋台骨を支えた人物です。

源頼朝が、朝廷で文章を書く役人だった大江広元を鎌倉にスカウトしました。

日本を収めるには、京都に詳しく正式な文章が書ける人材が必要だったとのこと。

大江広元のお墓

大江広元のお墓は、鶴岡八幡宮から徒歩10分の所にあり、源頼朝、北条義時のお墓のすぐ近くにあります。

鎌倉幕府を作り上げ、守り抜いた人物。

第7位 後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)

第7位 後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)でした。

後鳥羽上皇は、北条義時と鎌倉幕府を倒す為、朝廷のトップとして挙兵し、承久の乱で鎌倉幕府と戦った人物で、結果として承久の乱で鎌倉幕府に負けてしまい、島根県の隠岐(おき)に島流しにされました。

後鳥羽上皇は、超マルチな才能の持ち主で、有名なのは若の才能で、新古今和歌集は後鳥羽上皇が編集されました。

また琵琶(びわ)の腕前も達人級、さらに、当時の皇族としては珍しい、武芸にも精通しており、文武両道に優れた凄い人物だったとのこと。

後鳥羽上皇御火葬塚

隠岐神社

隠岐神社には、隠岐神社創建時に後鳥羽上皇から送られた後鳥羽上皇自作の刀が展示されています。

後鳥羽上皇は、刀に力を注いでいた方として知られており、そもそも上皇自ら刀を作りに関わるのは前代未聞、後鳥羽上皇は自ら刀を打っていたようです。

さらに、刀文化を発展させようと、月替わりで御所に刀鍛冶を招いていたと言われており、このことは、後に御番鍛冶(ごばんかじ)と呼ばれ、日本刀の優れた芸術性を生み出すきっかけになりました。

後鳥羽上皇は、御番鍛冶という制度を作り全国から名のある刀匠を集め月に1本刀を作らせていたと伝わっています。

後鳥羽上皇の手形

第6位 運慶(うんけい)

第6位 運慶(うんけい)でした。

運慶といえば、その作品が、歴史の教科書にも出てくる日本でもっとも有名な仏師で、特に有名な作品は、東大寺にある金剛力士像。

金剛力士像

第5位 平清盛(たいらのきよもり)

第5位 平清盛(たいらのきよもり)でした。

平清盛は、平家を率いてライバルの源氏を打ち破った人物。

武士として初めて太政大臣(だいじょうだいじん)という朝廷で最高の位に上り詰めました。

この平清盛の大出世がきっかけで、世の中が貴族から武士中心の世の中へ変わっていきました。

厳島神社(広島県)

厳島神社は、約1400年前に創建され、世界文化遺産にも登録されており、日本を代表する観光スポット。

約1167年に、元の小さな神社を大々的に改修したのですが、その時に資金を提供したのが平清盛で、厳島神社には、平清盛のアイデアが詰まっていると言われています。

厳島神社の建物は今までに何度も修復されていますが、修復のたびに平清盛が立てた形を再現しています。

第4位 北条義時(ほうじょうよしとき)

第4位 北条義時(ほうじょうよしとき)でした。

北条義時は、北条政子の弟で、北条政子が源頼朝と結婚したことで、若い頃から源頼朝に仕え信頼されていました。

源頼朝が無くなった後は、将軍の補佐として幕府を支え、ライバルたちとの戦いに打ち勝ち、ものすごい権力を持つことになりました。

見方によってはしたたかで、ダークな一面もあります。

石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)(京都府)

国宝石清水八幡宮は、859年に創建されており、北条義時、源頼朝、足利尊氏、織田信長、徳川家康など、歴史上の名だたる武将が訪れており、初詣には、3日間で10万人の参拝客が訪れます。

北条義時関東下知状

石清水八幡宮に収められている、関東下知状は、約800年前に北条義時が、鎌倉幕府のトップとして、もめごとのあった地域に出した命令書で、北条義時の直筆でサインも書かれています。

第3位 北条泰時(ほうじょうやすとき)

第3位 北条泰時でした。

源頼朝が築いた武家政権を守り抜いたのが北条政子や北条義時なら北条泰時はそれをさらに盤石なものとして確立しました。

北条泰時

鎌倉幕府3代執権

1183年-1242年(享年59歳)

切通(きりとおし)

鎌倉は、東、西、北を山に、南を海に囲まれた城塞都市で、山を切り崩して道を作る必要がありました。

しかし単純に山を切り崩しては、敵が侵入してきてしまうので、切通(きりどおし)という細い道を作りました。

元々鎌倉へと至る道は、狭い道に限られていたのですが、敵の侵入を防ぐため、岩山を切り開いて通行を妨げる仕掛けを施しました。

例えば、道幅を1mくらいにすれば、敵は一列になって通るしかなく、そこを狙い撃ちできるようにしています。

こうした道を切通と言い、今もあちらこちらでその名残を感じることができます。

当時から重要だった切通は7か所あり、今では鎌倉七口と言われています。

北条泰時は、敵の侵入を防ぐ為、物資の輸出入ができる為、鎌倉の発展のために切通を整備しました。

御成敗式目

御成敗式目は、1232年に制定された全51条からなる法律。

東国は開拓地で、武士による農業も行われていたのですが、武士は役人に突然領地を奪われたり、焼き払われたりすることもあり、これではいけないということで、北条泰時は、当時の武士の習慣や実態に合わせて「土地」、「仕事」、「相続」の問題など公平に裁けるように判断の基準を作りました。

第2位 北条政子(ほうじょうまさこ)

第2位 北条政子でした。

北条政子は、源頼朝の妻で、歴史のプロも評価する、朝廷と鎌倉幕府の戦い承久の乱で行った、名演説『皆心を一つにして聞きなさい! 頼朝さまのおかげで皆の地位が上がり土地が増えた、その御恩は山より高く、海より深い、今こそその御恩に応える時です!』

これを受け団結した御家人たちは、朝廷軍に圧勝しました。

歴史のプロはこうした御家人たちをまとめていく北条政子の政治力に注目しました。

北条政子

源頼朝の妻

1157年ー1225年(享年69歳)

浅草寺(せんそうじ)(東京都)

浅草寺は、国内外から年間約3000万人の参拝客が訪れる一大観光スポットですが、その歴史は古く、創建から約1400年。

この東京都内最古の寺院に、北条政子の政治家としてのすごさが分かるお宝が眠っています。

一切経(いっさいきょう)

一切経とは、仏教の教えのすべてが詰まっている経典と書物で、そもそも仏教にはいろいろな宗派がありますが、法華経や般若心経などそれぞれの宗派が使うすべての種類のお経を掲載、それだけではなく、お経の解説や仏教のルールなど仏教に関するすべての情報が詰まった仏教の大百科事典の様なものです。

また、この書物には仏教の教えだけではなく、当時の医学や数学、天文学や建築学など世界のあらゆる学問の元となる指針の情報が詰まっているとのこと。

この一切経は北条政子が中国から取り寄せ鶴岡八幡宮に奉納したと伝えられています。

なぜ鎌倉幕府には一切経が必要だったのか?

一切経は、当時、京都などの朝廷に関わる一部の寺院しか手にすることができませんでした、しかし、鎌倉幕府を確立していくにあたって、政治的な様々な行事など朝廷と同じような行事を行えることが政治や人を支配する為に極めて重要だったからと言われています。

現在、浅草寺の宝蔵門に収められています。

第1位 源頼朝(みなもとのよりとも)

第1位 源頼朝でした。

源頼朝は、日本で初めて武家政権を作った人物。

源頼朝

鎌倉幕府初代将軍

1147年ー1199年(享年53歳)

しとどのいわや

しとどのいわやは、石橋山の合戦で敗れた源頼朝達が、逃げ延びた場所で、5日間この場所で身を潜めていたのですが、一説によると、平家方の武将梶原景時に、ここで見つかってしまったと言われています。

源頼朝は人生最大のピンチを迎えたのですが、洞窟に隠れている源頼朝を見た梶原景時は、洞窟の外に戻り、『この洞窟の中に頼朝はいない』と言ったととのことですが、この時、梶原景時が見逃した理由は、源頼朝に同情したからともいえあれています。

しとどのいわやは、関東大震災によりほとんど埋まってしまったようですが、当時はもっと奥まで広がっていたようです。

安房(あわ)へ

人生最大のピンチを切り抜けた源頼朝は、海を渡り、安房(現在の千葉)へ逃亡。

たった7名で逃げたのですが、次々と武士たちを味方につけ、鎌倉に入る頃には、5万人もの大群を率いていたと言われています。

いったいなぜ、そんなことができたのでしょうか???

1つは、東国武士たちの中には、平家に反感を持っていた者がいたこと、源頼朝の人間力、人心掌握術などがあり、源頼朝に期待をしていた武士が多くいたと考えられています。

また、源頼朝は、挙兵前に味方になってくれそうな豪族を呼び出して『お前だけが頼りだ』といったとのこと。

御恩と奉公

源頼朝は、御家人との関係を築く為、戦に勝っていくと恩賞(領地)を次々と与えていき、公平な扱い、言ったことをやる、信頼感を得るなどのことから御家人から信頼を得ていきました。

これが御恩御方向の関係で、頼朝は御恩として、御家人たちの土地を保証し、御家人たちは、戦に参加することで奉公し、その御恩に報いました。

まとめ

今回の記事では、2022年12月15日にテレビ朝日系列『林修の今知りたいでしょ!(林修のレッスン今でしょ)』で放送された、鎌倉時代の偉人ランキングベスト13をまとめました。

2月に放送されたカインズランキングです↓

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