【博士ちゃん】やばすぎる戦国武将ランキングベスト15 (2022年3月26日)

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2022年3月26日の『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』で放送された、やばすぎる戦国武将ランキングベスト15を紹介します。

今回の博士ちゃんは、平均年齢12歳戦国好きすぎ子供博士が大集結!

ヤバすぎる最強武将ベスト15豪華2時間SP! 

教科書に載っていない戦国武将の衝撃エピソード連発!

今回の記事では、やばすぎる戦国武将ランキングベスト15をまとめます。

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やばすぎる戦国武将ランキングベスト15

お城、戦国プリンセス、戦国ゴシップ、マイナー武将、城模型、甲冑、戦国、幕末など、歴史好き博士ちゃん17人が大集結し、平均年齢12歳の博士ちゃんたちが選ぶ「ヤバすぎる戦国武将ベスト15」を発表しました。

第15位 明智光秀

明智光秀は、ツンデレすぎる裏切り者!

本能寺の変で、主君の織田信長を討った日本史上もっとも有名な裏切り者ともいわれています。

明智光秀は、織田信長に見せる顔と、民へ見せる顔で、やばすぎる2面性を持っていたとのこと。

明智光秀は、織田信長の命で比叡山延暦寺を焼き払った後、自腹で寺を建て直したことが、西教寺の資料に残されています。

信長の為の残酷さ、民思いの優しい面、その2面性が、自分自身の苦しむ原因になって、後に自分自身の理想の為に、本能寺の変を起こしたのではないかといわれています。

第14位 前田慶次

前田慶次は、破天荒すぎる傾奇者!

馬に派手な飾りつけをして、京都の町を歩き街中で目立っていた様で、ド派手な格好の理由は、有目な武将に目を付けられる為、名を知らせる為に目立つ様なことをしていたと言われています。

第13位 加藤清正

加藤清正は戦国一の城マニア!

豊臣秀吉に仕え、熊本藩初代藩主に就任。

朝鮮出兵では、虎を倒したという伝説もある武将ですが、なかでも城造りのセンスがピカイチ!

熊本城がヤバすぎて攻めづらいというより、城に入った敵は生きて帰らせないという最強の城。

加藤清正は築城が得意な豊臣秀吉の家臣だった為、色々なとことに行って城を作っていて、そこで学んだ経験が多いのではないかと思われます。

熊本城の他にも、江戸城、名古屋城の築城にも参加したと言われています。

第12位 竹中半兵衛

竹中半兵衛は、豊臣秀吉が認めた天才軍師!

戦を指揮する軍師として、黒田官兵衛と共に豊臣秀吉の出世を支えた武将で、歴史ゲームファンが選ぶ部下にしたい戦国武将ランキングでは、第3位片倉小十郎、第2位石田三成を抑え、第1位に輝くほど、知る人ぞ知るひらめきの知将。

1546年竹中半兵衛は、斎藤龍興に仕えていたのですが、その斎藤竜興がお酒ばかり飲み女の人を囲い遊びまくっていたところ、主君を改心させようと織田信長でも落とせなかった主君の難攻不落といわれていた城、稲葉山城を稲葉山城内に勤めていた弟に仮病を使わせ、見舞いとして乗り込み、わずか16名の軍勢で稲葉山城を落としたという逸話があります。

城を落とした後は、もう一度斎藤龍興に城を返したとのこと。

このヤバすぎる行動が豊臣秀吉の目に留まり、生涯秀吉に仕え、戦国一と呼ばれるまでの天才軍師に!

第11位 武田信玄

武田信玄は、部下に気を使いすぎ!

川中島の戦いでは、上杉謙信と12年もの死闘を繰り広げ、当時勢いのあった、織田信長、徳川家康の連合軍にも勝利!

戦国最強の名をほしいままにした武田信玄ですが、部下に気を使いすぎていた信玄は、大会議を開き自分の着る鎧の色など些細なことも部下の意見を聞いていたと言います。

武田信玄が定めた法律の中には、実際に信玄自身も裁ける制度が設けられていました。

そのせいもあってか、部下の信頼力を勝ち取り統率力も格段にアップ、9000騎にも及ぶ武田の騎馬隊を駆使する戦国最強軍団となりました。

第10位 徳川家康

徳川家康は、ビビりすぎな天下人!

徳川家康の父は家臣に裏切られ、祖父も今川家に裏切られている為、人を信じられないような用心深い人だったのではないかといわれています。

その用心深さ、ビビりなポイントが、二条城に見て取れるとのこと。

二条城は、江戸時代の平和になった時代に造られた城で、徳川家康の京都の別荘といった感じのお城です。

二条城の入り口東大手門には、石落としがあります。

二条城の角にある、東南隅櫓(とうなんすみやぐら)本来、櫓(やぐら)は、見張り代の役目をし営るのですが、東南隅櫓の位置に大軍が攻めてくることは考えにくいのですが、それでも櫓を造ってしまうところが、びびりポイントとのこと。

第9位 真田幸村

真田幸村は、伝説の戦術がスゴイ!

真田幸村は、1614年の大坂の冬の陣で、大坂城平野口の南に城真田丸という出城を造り、真田丸にいた5000人の兵で20万人の徳川勢を打ち破りました。

第8位 松永久秀

松永久秀は、三大悪事を働いた!

松永久秀は、主君だった三好一族を滅亡、幕府の将軍を暗殺、大仏を焼き討ちなど悪事を重ねた武将とのこと。

第7位 上杉謙信

上杉謙信は、戦のセンスがスゴイ!

上杉謙信は戦いの神毘沙門天の生まれ変わりともいわれるように神の様に戦が強かった武将で、70回以上戦に出て、負けたのはわずか2回!

敵の陣地から出る煙がいつもより多いのを見て、戦いの前に栄養を付ける為に米をたくさん炊いていると敵方の奇襲の準備に気付いたいう逸話も残っています。

第6位 島津義弘

島津義弘は、少人数で大軍を倒すところがヤバい!

不利な状況でも戦に強く、戦では、常に最前線に立って戦っていたとのことで、九州最強の戦国大名ともいわれています。

第5位 斎藤道三

斎藤道三は、ミスター下克上!

斎藤道三は、油売りからスタート⇒ 土岐頼武を襲撃 ⇒ 長井長弘の家臣になる

⇒ 長井長弘を殺害 ⇒ 土岐頼満を毒殺 ⇒ 土岐頼芸を追放 ⇒ 美濃国主になる。

と成りあがった下克上武将です。

第4位 真田昌幸

真田昌幸は、不死身すぎる男!

真田昌幸は、世渡り術がヤバすぎるなにふり構わない不死身の男。

主君も、武田信玄→勝頼→織田信長→北条氏直→徳川家康→上杉景勝→豊臣秀吉→豊臣秀頼と多く変えており、表裏比興の者(ひょうりひきょうのもの)とあだ名がついていたとのこと。

関ヶ原の戦いで、西軍の石田三成側に自身と次男の幸村、東軍の徳川家康側に長男の信之を配置し、どちらが勝っても生き残れるように、真田家を存続させるための判断をしました。

第3位 豊臣秀吉

豊臣秀吉は、嫌がらせの天才!

農民から天下人へと成りあがった武将。

1590年関白となった豊臣秀吉は、自らに背いた小田原北条氏に制裁を加える為、小田原城を包囲し、敵の食糧供給を遮断し飢えさせる兵糧攻めを行いました。

その時に、秀吉は、食料がなくお腹をすかせた敵に対し、戦場で宴会をし敵に見せつけることで戦意を削ぎ戦わずして勝利!

また、急な山の上に建つ鳥取城を攻めていた秀吉は、周りを囲った後に、城の蓄えをなくさせる為、農家から通常の2倍の金額で事前に米を買い占め、更に近隣の農村に火をつけ、農家を城に追いやり、籠城する人数を増やし、ただでさえ少ない兵糧を浪費させるという戦略を行いました。

第2位 伊達政宗

伊達政宗は、東北の英雄!

豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いの後には、初代仙台藩主に就任した、東北の英雄とまで言われる武将。

伊達政宗が東北の英雄とまで言われ、仙台市民に愛される理由は、

1.味噌で仙台を食の都に!

2.用水路で仙台を100万石年に!

3.支配ではなく、共に成長していくシンボルとして大崎八幡宮を建立!

第1位 織田信長

織田信長は、非常識すぎる革命家!

1574年裏切った浅井長政を打ち取り、家臣と祝杯をあげていた織田信長は、浅井長政の頭蓋骨を金色に塗り杯として使いました。

非常識と思われる、比叡山延暦寺焼き討ちの真意は?

戦国時代の僧侶は、今の僧侶とは違い、唐(中国)の高い技術を貿易で独占、物価を操り富を独り占めしていました。

織田信長は、そんな僧侶に抗うために楽市楽座という自由に商売ができる政策を行いました。

しかし、延暦寺が信長に対抗して、信長VS延暦寺という構図が生まれました。

比叡山延暦寺の焼き討ちは、織田信長なりに考えて、農民や部下の為に取った行動ではないかと思われます。

不器用で、手段がおかしかっただけで、心としては優しい人ではないかとのことでした。

まとめ

今回の記事では、2022年3月26日の『サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん』で放送された、やばすぎる戦国武将ランキングベスト15をまとめました。

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