【所JAPAN(所ジャパン)】熊本城の魅力&修復中の今だけ見れる激レア景色(10月5日)

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2020年10月5日の『所JAPAN(所ジャパン)』では、現在修復作業中の熊本城が特集されました。

2016年の熊本地震で大きな被害を受けましたが、修復中の今しか見られない激レア景色があるとのこと。

教えてくれたのは、お城博士の千田嘉博さんです。

この記事では、熊本城の魅力や初心者でも分かるお城の楽しみ方を紹介します!

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お城好きの3段階

お城好きになる際、初級・中級・上級の3段階があるそうです。

●初級⇒天守や櫓(やぐら)に熱中

お城の建築美に惹かれるのが最初の段階だそうです。

※櫓:本丸や二の丸などの角に建てられた防御の拠点

●中級⇒石垣に熱中

金沢城では多種多様な石を用いて短冊状に石を並べているそうです。

●上級⇒凸凹に熱中

堀や城壁の後に熱中するということです。

葛尾状(長野県)は室町時代に築城されましたが、現在は森林のような姿に。

上級者が見ると、その凹凸でお城の面影が感じられるそうです。

熊本城は日本で最も強いお城⁉

4年前の地震で店主の瓦が剥がれ落ちた熊本城ですが、飯田丸 五階櫓は奇跡的に1本の石垣が櫓を支え倒壊を防ぎました。

昨年から一部のみ公開が再開しています。

そんな熊本城の魅力を、千田先生が教えてくれました。

熊本城は戦国時代以来の戦いに備えて、どう守るか徹底的に工夫しているそうです。

日本の中でも最も強いお城=キング・オブ・ディフェンス城といっていいそうです。

空中回廊からの激レア景色① 天守閣

今年6月熊本城には全長350m、高さ6mの特別見学通路が設けられ、今までとは一味違う熊本城が誰でも楽しめるようになっています。

この特別見学通路からは、修復作業中だからこそみられる激レア景色が見られるそうです。

まず天守閣を見てみると、黒っぽかった震災前に比べて色が白く変化しています。

大天守は高いところにそびえているため、瓦のつなぎ目から雨漏りするのを防ぐため漆喰で強くしています。

漆喰とは?⇒壁・天井などに使用される石灰を原料とした塗料

真っ白なのは400年前と同じ材料と技術で再現しているためで、経年劣化で年々黒く変化していくんだそう。

年々色が変化するので、これがみられるのは今だけだそうです。

空中回廊からの激レア景色② 桝形の通路

回廊からは下に階段が見えてきます。

熊本城の通路は曲がりくねった道=桝形に作られていることがわかります。

桝形は侵入した敵を一瞬足止めして、一斉攻撃して撃退するお城の仕掛で、これが1つでもあるとかなり防御力が上がると言われていますが…

熊本城では5つ連続して外桝形を作っています。

敵の侵入を絶対に許さない城主の意思が感じられます。

空中回廊からの激レア景色③ 緩やかな石垣

熊本城の石垣は緩やかで登りやすそうに見えます。

ところが上から見ると、敵が緩やかな斜面を登ることで的が広がり狙いやすくなるという利点があったのです。

しかも高さが半端なく、17mもありました。

空中回廊からの激レア景色④ 

熊本城の御殿に入ると、地下へ進む通路が現れます。

御殿は城主やその家族が仕事・生活する場所です。

通常で入り口は地上に作るのが当たり前ですが、くまもとじょうでは 本丸御殿の下へ通路を作り、中へ入る玄関は階段の上にあります。

この通路は堀の後です。

熊本城は守りを強くするためやりすぎた結果、本丸御殿を立てるスペースが足りなくなり、堀の上に蓋をして強引に本丸御殿を建てました。

そのため玄関の入り口が地下になってしまいました。

飯田丸 五階櫓で400年前の石垣を発見!

今回立ち入り禁止区域での撮影を許可されました。

飯田丸 五階櫓は修復のため別の場所へ移されていますが、ドローンでお城の上部を撮影してみると超貴重な情報が得られました。

移された櫓の奥に、真新しい石垣が見えてきたのです。

加藤清正が石垣を築いたとき最初は四角く石垣を作っていましたが、やはり櫓をつけたいということになり、石垣をつけ足してその上に櫓を建てていたことが分かりました。

新しく見えた石垣は櫓に守られ、400年前の姿のまま残っていたことが分かります。

熊本城が敵を撃退したのは0回?

清正の時代に熊本城が敵を撃退したのは、なんと0回でした。

その後細川家が城主となりますが、江戸時代にお城のが攻められることはありませんでした。

ところが270年後の明治時代、1度だけ熊本城が役立った戦いがありました。

その戦いは、1877年明治政府に反旗を翻した西郷隆盛が、熊本城を拠点にする政府軍を攻撃し開戦した西南戦争です。

西郷隆盛率いる薩摩郡14000人VS政府軍4000人の戦いでしたが、53日の戦いの結果熊本城をおとすことができませんでした。

今しか見られない奇跡の櫓

熊本城の西側にそびえる宇土櫓は第3の天守と呼ばれ、高さ約20mもありました。

熊本城の建物の中で加藤清正の築城以来、現存する最後の櫓と言われています。

丸亀城の天守と比べると、それよりも大きいことがわかります。

明治10年の西南戦争の際、火災で天守が焼失しましたが宇土櫓は無事でした。

明治22年の熊本地震でも崩れることなく、昭和35年の天守債権までの間熊本のシンボルの役割を果たしていました。

2016年の熊本地震でも、宇土櫓は耐え抜きました。

ところが激しい損傷でいつ崩れてもおかしくない状態のため、いったん解体修理をすることが決まっています。

現在の櫓が見られるのは、修復前の今だけだそうです。

まとめ

千田先生によると、数度の地震にも耐え抜いた宇土櫓をはじめ、熊本城は地域のアイデンティティーが詰まった場所だと言います。

ぜひ足を運んで、修復中しか見られない景色を眺めてみたいですね!

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