2021年1月15日の『中居正広の金スマ新春SP』では、昨年レコード大賞に輝いたLiSAさんが登場!
全国3000人の疑問に、NGナシでガチ回答してくれました。
LiSAさんを支える三本柱として10年来の大ファンであるキスマイ宮田さん、我妻善逸役の下野紘さん、同じ事務所の小峠英二さんがLiSAさんの魅力を語ります。
この記事では、LiSAさんの回答内容や魅力をまとめます!
子とも~10代からの質問
まずは子ども~10代からLiSAさんへの質問です。
Q. 鬼滅の刃で好きなキャラは?
映画で重要な役だった「煉獄さんが1番好き!」だそうです。
Q. 「何柱」「何の呼吸」?
「歌柱」「腹式呼吸」だそうです。
Q. 最初から紅蓮華は売れると思ってた?
たくさんの人に愛される曲になればいいと思っていたそうです。
鬼滅の刃は制作側に「絶対たくさんの人に知られなくちゃいけない」という想いの強さがあったそうです。
LiSAさんは原作を読み込んで、紅蓮華の歌詞を書いたそうです。
当時原作は完結していませんでしたが、地獄の咲くお花のように水面下から上がってくる強い蓮の花をイメージしたとのこと。
Q. なぜ髪をピンクに染めている?
可愛いからです!
最初は黒髪でしたが、途中からアーティストのイメージカラーであるピンクに変えたそうです。
Q. なぜLiSAの「i」だけ小文字?
後づけですが、小さな愛(i)も大事にしようという意味もあるそうです。
Q. 夜にやっているルーティーンは?
マスクをして寝ることは、コロナ禍以前からやっていたそうです。
喉のケアはかなり気を使っていて、加湿器を使って常に湿度を60%に保っているそうです。
20代からの質問
20代からの質問にLiSAさんが答えます。
Q. カラオケで必ず歌う曲は?
SPEEDの「Go!Go!Heaven」を歌うそうです。
Q. 得意なものまねは?
ものまねは得意ではないけど、松田聖子さんの歌を歌ったときお母さんに「せいこちゃーん!」と褒められたそうです。
Q. 学校で音楽の成績は良かった?音楽以外で得意科目はあった?
「子供のころからピアノをやっていたので、音楽得意でした。体育も得意でした。」とのこと。
Q. 何でそんなに歌が上手くなった?
「いろんな方の歌を研究しました」とのことです。
Q. 最近買ったもので一番高いものは?
ここ数年だとカメラ(ライカ)が一番高かったそうです。
ライカは黒がキレイに出るカメラで、コンクリートが出す濡れた場面や光のあたる場所が凄く美しくなるそうです。
どこのコンクリートがおすすめ?という質問には、パリだそうです。
30代40代以上からの質問
最後は30代40代以上からの質問です。
Q. スタイルいいけど痩せの大食い?
良く食べる方。時間関係なく食べるそうです。
夜中もラーメンに行くんだとか。
Q. 人生で負けたと思ったことは?
人生負けだらけだと思っていて、だからこそ強くなれたとのこと。
Q. 歌詞はどうやって考えている?
1度作品を自分の中に憑依させて考えるそうです。
Q. 歌手を辞めたいと思ったことは?
「辞めるに値する失態はあった」とのこと。
「完璧な自分」を心がけていたけど、初めての武道館の時に風邪をひいてしまったそうです。
高い曲を2時間半やりきらなければならなかったのに、第一声で喉に異変が!
高い部分を裏声で必死に歌ったけど、いつもの高音を出すことができなかったそうです。
声が出ない部分を、ファンに皆さんが一緒に歌ってくれて何とか乗り切れたんだとか。
LiSAさんのヒストリー
LiSAさんが歩んできた道のりを紹介!
LiSAさん幼少期の歌う原点はミュージカル
LiSAさんは岐阜県関市の出身で、4歳のころからミュージカルのスクールに通っていたそうです。
子供の頃はSPEEDに憧れていたそうです。
11歳で沖縄に単身移住
LiSAさんは11歳の時大人気グループSPEEDに憧れ、ダンススクールに通うため1人で沖縄に移り住んだそうです。
ホームステイのような形で暮らしていたんだとか。
14歳で岐阜に戻る
岐阜に戻るきっかけは、そこでは選ばれずデビューできなかったからだそうです。
16歳でパンクロックバンドを結成
16歳の時パンクロックバンドCHUCKY(チャッキー)を結成し、地元で活動していました。
名古屋や大阪でライブを行うほど人気バンドだったそうです。
LiSAさんはこのバンドでデビューするのが夢でしたが、バンドメンバーはプロになる気はなく解散することに。
その後東京へ単身上京して、歌手を目指します。
23歳で歌手デビュー
2010年23歳で、アニメ劇中バンドのボーカルとしてデビュー!
パンクバンドをやっていて可愛いキャラを演じたことがなかったので、戸惑いもあったそうです。
母が教えてくれたLiSAさんが強くなれる理由
お母さんに内緒で東京への上京を決めたLiSAさん。
しかも伝えたのは東京へ行く前日でした。
沖縄から地元へ戻ってくるとき、LiSAさんはお母さんと「二度と音楽の道を目指さない」と約束していました。
お母さんに反対され、家出同然で東京へ向かったLiSAさん。
『無色透明』という歌は10年前に作詞したもので、当時の上京する気持ちを書いた曲だそうです。
高田馬場で一人暮らしを始めましたが、上京前にためたお金もあっという間に無くなり極貧生活に…。
部屋には布団と段ボールだけ。ご飯のおかずは100均のなめ茸のみ、1か月もたせたそうです。
節約のため服を洗うのも洗濯板で。バイトとバンド活動の毎日でした。
そんな時お母さんから電話がかかってきました。
お母さんは何事もなかったかのように、明るく話しかけてくれたそうです。
LiSAさんから連絡がない間お母さんは「娘を応援するのは私しかいない。あんな世界にこうしてまで入って頑張っている娘を、私が支えないでどうする」と反省していたと言います。
お母さんの許しを得たLiSAさんはたくさんのオーディションを受けましたが、落選が続きます。
疲れて帰ってきたLiSAさんに、お母さんは「今日もいい日だ!」って言ってから毎日寝なさいと教えます。
どんな1日でも1つはいいことがある。よかったことを探して「今日もいい日だ」と思って寝ることが明日を乗り越える力になったそうです。